生存報告6.5日目
今朝見た夢の話。
真っ白な空間に自分が立ってて、
目の前には自分が立ってる。
もう一人の僕ってやつ。
そいつとなんか口喧嘩するみたいな夢だった。
多分アレは麻理(便宜上「妹」って呼んでる交代人格)じゃなくて、本当に心の奥底の私だと思う。
『なんでそんなに戻ろうとするんだ』
『いい大人なんだから夢なんか見るなよ、また傷つくだけだぞ』
いじけてる声だった。
「傷つく時は何をしたって傷つくんだよ」
「それでも私は戻りたいんだ」
『なんでだ?』
「戻ることに理由が要るのか?」
『話になんねえよ』
今思うと、あれは論理と心を攻撃に振ってしまう自分だったんだと思う。
最初は世間の諸問題、次に身の回りの人々、最後に自分へ論理を翳して、どんどん身を滅ぼしていった、かつての自分。
『お前を見てるとイライラする』
『"待ち望まれてる"なんて夢を見て、現実では誰一人として待ち望んじゃいない』
『お前の作品に対する評価もそうだ、夢いっぱいに作品を発表して何回傷付いた?』
『もう諦めろよ、誰もお前の事なんか興味無いんだ』
どこか泣きそうな声だった。
『自分が傷付くだけの世界なんて無意味だろ』
社会生活不適合者となった自分に、どこか否定的な自分の姿なんだろうと思った。
それはまさしく、私が現実で立ち向かった4日目の自分。
こいつが4日目の自分なら、
私は5日目の自分として、こいつに言ってやらきゃいけないことがあった。
「なぜ、それで"誰一人として待ち望んじゃいない"なんて言えるんだ?」
『は?』
「理由を説明しろ、どうして誰も待ってないと思うんだ?」
もう一人の私は虚をつかれた様子だった。
「私には、長年の付き合いの友人が居る」
「私が体を壊したままでは先行きが不安な母親も居る」
「仮に一時のお世辞でも、コラボしたいとまで言ってくれたミュージシャンも居る」
「私のことを覚えていてくれるミュージシャンも居る」
「確かに私が居なくなったところで、彼らの日常は終わりはしない」
「それは誰の一生も同じで、だからと言って誰の一生も無価値だとは思わない」
「それは私だって例外じゃない」
『そんな話じゃねえよ』
よくあるアニメみたいにその世界がTwitterのTLで埋め尽くされる、というより、TwitterのTLと眼前の風景が重なって見えたような気がした。
夢だからこんな厨二景色も実現できてしまうみたい。
『見ろよ、お前が最後に見たタイムラインだ』
『お前は大した評価もコメントも貰えなかった、周りの奴らは視聴数もコメントもうなぎ登りだったのに』
『周りの奴らはお前のことを置き去りにして、お前じゃない奴を片っ端から持ち上げた』
『私はこんなにいい曲を作ったのに、周りはほとんどそれを認めやしなかった』
『そんな奴らの元に戻って、また傷つくだけの日々に戻るのか?』
『そうしてまたパニック障害やらうつ病やらに引っ張られて苦しむのは自分なんだぞ』
『そんなことを繰り返して何の意味があるんだ?』
「くだらねえよ」
私は腹に思いっきり力を入れて言い放った。
「確かに寂しかったことも、妬ましかったこともある」
「もっと褒められたいと思う気持ちもある」
「でも時代や界隈には流行り廃れがあり、一人一人には好みがあり、彼らがそれを発現するのは何も悪い事じゃない」
「私は無軌道で、その癖一作一作が重たい、だから彼らの好みや理想とは逆行した音楽を作ることの方が多い」
「それに私は基本取っ付き難い」
「それでも、何かを感じ取ってくれた人は何人も居る」
「そしてそれは一度や二度じゃない、何度だって、数え切れないくらいある」
「その事実をお前は"また"否定するのか?」
「お前の勝手な感情で、俺のファンや友達の価値を、勝手に決めんなよ」
「同じ失敗で俺の命を、俺の人生を、勝手に決めるんじゃねえ」
気がつくと、TLの景色は消えて、白い空間に戻ってきていた。
「私は戻りたいから戻る、生きたいから生きる、歌いたいから歌うし、作りたいから作る」
「仮に本当に誰も待ってなかったとしても、今まで言葉を貰ったことは嘘じゃない」
「それに、今まで失敗してきた時とは違って、今度は本当に待ってくれる人が居る」
「勿論全員じゃないし、なんなら過半数ですらない、それでも待ってくれる人が居るんだ」
言葉を失うほどの沈黙の後、もう一人の私は言った。
『本当に、それでいいのか?』
私はここで、何故か急にふざけたくなって、
消えていく視界の中でアイツに舌を出した。
「知らねーよ、ばーか」
ここ最近で一番いい笑顔になれた気がした。
多少体の硬直はあっても、ここ最近で一番体調のいい朝を迎えました。
これから沢山サイクリングに出かけます。
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