「サイコパスに成りにゆこう」の真意(1)

どうも、皆さんお馴染みはるくんです。

今日は一日中爆睡してた上に、起きてからずっと頭が痛いです。

スーパーカップ食ってちょっと回復したと思ったら、全く回復しませんでした。

なかなかきついですね。。。低気圧め。。。



さて、皆様3日前にアップした新曲はもうお聞きいただいたでしょうか。

H2020019:超防衛

でございます。

アップする前、深夜にこのMVの絵を描きながら「この曲はバズる」とか言ってましたが、全然そんな事はありませんでした。

社会批判ソングだからね。しょうがないね。


さて、既にお聞きになったみなさんは、

「はるくんがラップしてるぅ~」とか

「はるくんにしては珍しい曲調だなぁ~」とか

「キレッキレな歌詞だなぁ」とか

「そこまで嫌味ったらしく言わなくていいじゃん」とか

いろいろ考えたと思います。

この楽曲自体、相当好き嫌いが分かれる曲だなと自分でも思っております。

しかし、この楽曲、ここ最近のはるくん楽曲の中では(演奏時間も制作時間もそんなに長くないけど)相当凝られたもので、はるくんとしても極めて思い入れが強い曲となっております。


「嫌いだなぁ」と思った人には少しきつい内容になりますが、縦横無尽なはるくんワールドを読み解く一つの手がかりにもなりますので、

この楽曲に込められた真意を是非お読みいただけると幸いであります。



Twitterでも仄めかした通り、この楽曲には2通りの意味があります。

2通りの意味があり、どっちとして受け取っても正解になります。

或る意味これが「好き嫌いの分かれる」最大の理由かもしれません。


まずは歌詞そのものを一読してみましょう。

これは、「声高な正義」を訴える人々(便宜上名前を付けました、ちょっと差別的でごめんね)の思考や姿勢をはるくんから見た歌詞となっています。

当たり前なんだけどね。はるくんが書いてんだから。

先程「声高な正義を訴える人々」とあたかも特定の集団を指したように呼びましたが、実を言うと声高な正義を訴えることは今日誰にだってあります。

言うなれば、アンチやめんどくさい人に限定した話ではなく

誰もが陥る可能性のある失敗です。

どういうことかは各連を細かく読んでいくと解ります。


心拍数は正常 稼ぎ平凡
倫理観も結構←これ俺がソース
問題ばっか怒涛 掃き溜めの世
満たされねえ欲望は誰が背負う?


この連は、「自分は特別幸せでもないけど、そうかといって特別不幸でもない、ごく当たり前の暮らしをしている」ということを表しています。

何故そんな事をわざわざ歌詞にしているか?


みなさんは所謂アンチや荒らし行為に走る人間がどういう人間だと想像しますか?

「日々の生活が充実していない人」

「暮らしが忙しくて貧しい人」

「心が成長しきっていない中高生や新社会人等」

「不幸な事ばかりに見舞われて苦しんでいる人」

ざっくり言うとこんなイメージだと思います。


全部違います。


どちらかというと、外面的に見れば充実していそうな、ある程度社会的地位の保証されている人間の方がこういう行為に走りやすい、というデータがあります。


いったいなぜ?


こういう人間を見るときの最も大事な部分は「外面的に見れば充実していそう」というところであります。

つまりは、各要素の名前だけ見れば充実していそうで幸せそう、と自分自身でも勘違いしている人間に起こるわけです。


例えば、「管理職」って聞くと、

「偉い人なんだなぁ」とか「お給料高いんだろうなぁ」とか考える人と、

「ストレスがやばそうだなぁ」とか「大変な仕事だろうなぁ」とか考える人と、

良い方も悪い方も、それぞれ考える人が多いと思います。


こういった役職や職位というものは、良い部分も悪い部分も併せ持つものであります。

つーかこの世の殆どのものは良い部分も悪い部分も併せ持っています。


ところが、こういう行動に走る人々はその「悪い部分」を自分でも上手に認識しておらず、その「悪い部分」から受けるストレスなどを自覚できていないために、漠然と充実感が失われています

そして、「充実しているはずなのに充実感がない」という状態に陥ります。

やがて自分の社会的地位(肩書)で無意識にマウントを取ることでこの「充実しているはずなのに充実感がない」という矛盾を解消しようとし、他人より優位に立った気になり、最終的に他人を圧すようになります。

勿論、人を圧すことなく自ら壊れてしまう人も少なくありません。

しかし、他害に走った人間の多くはこの「充実しているはずなのに充実感がない」という状態に陥っていると見て間違いはないでしょう。


さて、ここまで読んで「なるほどぉ、アンチはそういう生活になっちまってるのかぁ」と、何となく他人事に考えたそこのあなた。


問題ばっか怒涛 掃き溜めの世
満たされねえ欲望は誰が背負う?


この部分忘れてませんか?


そう、こういう生活を強いられているのは何も一部の人間だけではありません。

今となってはコロナ禍で満足に外へ出られない、何となく外へ出ることへ抵抗がある、という慢性的なストレスを全国民が抱えています

政治・経済・芸能などなどで、まるで重箱の隅を楊枝でほじくるように様々な問題が黙っていても手元へ飛び込んでくる時代です

それらを「心の余裕がないから今は無視!」とか「冷静に考えるには時間と環境が必要だな」とか

みんなできていますか?


殆どの人間はそんな事できません。

できてたらこんな曲作りません。


飛び込んでくる問題を、全部自分の人生の課題にしてしまう人は意外と多い。

また、飛び込んでくる問題に「満たされねえ欲望」を無意識に背負わせてしまう人も多いのです。

これを読んでいる人全員がそうだとは言わないけど、

貴方は本当に「満たされねえ欲望」を自分で背負える人?


ちょっと意地悪な言い方しました。ごめんね。

この、MVの途中に現れるかわいい女の子たちは、「飛び込んでくる様々な問題」を表しています。

かわいいだろ?

かわいいって言えよ。


同時に、今回のアルバムHB06"Navigator"の中核をなす存在でもあるんですが、

その話はまたの機会に(/・ω・)/


追う情報に追われ 知らぬストレス
飛び込んできたプロブレム 少しダメージ
憂さ晴らしに声明 気持ち見栄
問題への姿勢 普段N/A


前半は先の説明通り、本来追いかけていくはずの情報に逆に追われる立場になっており、

飛び込んでくる様々な問題でいちいち心を痛めている、という高ストレス状態を表しています。

後半はその問題が飛び込んできたときの情動と行動、そして普段その問題についてどのくらい考えているか、というのを表しています。

「普段N/A」って要は何も考えてねーってことじゃねーか!失礼だな!そんな何も考えてねーなんてこたぁねーよ!

と怒る気持ちも分かります。ごめんね。

でも、本当にN/Aじゃないと言えるか、というと、殆どの人はそうと言えないはずです。


例えば、殺人事件があったとして

「殺人なんてすんじゃねーよ!」とか「怖いなぁ」とか思うのは当たり前のことです。

では、殺人事件が起こらないような環境づくりを普段心がけていますか?

答えはNOのはずです。

そもそも「どうしてその殺人事件が起きたのか」という発想に至る人間が半分を超えないし、普段から殺人事件が起きないように/起こさないように心がけてるなんて言ったらそれはそれでメンタルがヤバい人です。


警察は例外だけどね。


そうした、「普段は特に意識していない事」の関連で問題が起きた時でさえ、現代人の多くは頑張ってその詳細を語り、判断しようとします。

これが、「飛び込んできただけでストレスを感じるような問題」だったら、更に深く、更に否定的に判断しようとします。

判断した割に、じゃあその後自分の生活の何かしらを変えるか?と言われると、何一つ変わりません。

これを「問題への姿勢 普段N/A」と言わずして、なんと表しますか?


「普通」と表します。

だって普通そうなんだから。


『問題を見て滾る正義』
『暴言は愛の裏返し』
モンペの様なその姿勢
姿見を見ず『正当性』

この部分は特に問題について語る人や、声高な正義を訴える人の思考トレースになります。

問題を見て初めて湧いてくる正義感

そして「自分は正しい事を守る為に言葉を荒らげているんだ/糾弾しているんだ」という念


この歌詞に差し掛かった時、図のように一瞬だけ刑法の条文がMVで流れます。

はい、察しがついたと思いますが、これは『暴言は愛の裏返し』に対するツッコミです。

「うそつけ」って言ってます。


「いや、なんでツッコミが刑法の条文なんよ?」と思うでしょう。

よく読むと「正当防衛」や「緊急避難」についての条文が書かれています。


要は

「お前が叫んでんのは"愛してるから"とか"間違ってるから"じゃなくて、問題が飛び込んできて鬱陶しいからだろ?

問題を知らされて傷付いた自分を守る為に言ってるんだろ?

というツッコミです。


そんなことない、と殆どの人はしらを切ります。

当たり前です、自分の正義感を「おかしいぞ」「嘘だぞ」と言われて素直にそうだねって言える人は少ないし、素直に自分の正義感を見つめなおすことができる人はもっと少ない。

しかし、世の中にあふれる「間違ったものへの主張」の大半はコレでできています。自分に不利益が出て初めて「それはおかしい」と気付くことが殆どです。

その証拠に、問題が起こる今日まで、自分はその問題について考えたことさえなかったんだから。そしてこれから、その問題について勉強しようなんて考えないんだから。


それでいて、モンペの様に語り続けるわけです。


この「モンペ」という表現は、某世界一位さんの「(アイドルの)ファンというのは(そのアイドルの)親のようなものである」(だから自分の子が大事にされないことを許さない)という言葉に由来しています。

この理屈は大体の事柄(世に存在する批判の数々)に通用するものだと思います。あらゆる問題に対して、我々はどこかで「親」のような気持ちで接することが多いのです。

「我々」って言って「オレそうじゃねえけどなぁ」って思ったでしょ?

「我々」っていうのは「社会批判をする人」のことを言っていて、広い一般の人々という意味ではありません。

「えっ?じゃあはるくんもこの歌詞に刺される立場じゃん」と思うでしょ?

部分的にはアタリ。というか、大体自分含めて刺してる。決して棚には上げるつもりはないけど、自分含めて刺してる。


逃げ理論みたいでちょっと自分で嫌な言い方になっちゃうんですが、はるくんの社会批判が世に存在する批判の数々と大きく異なる点を挙げるとするなら、

「返事を期待して批判している」という点です。

はるくんが批判しているのは「返事を聞くためのもの」です。

「あなたがこういう風にしているのはどうして?」「こういう風にしないのはどうして?」という、理由を訊いているのです。

または、「私はこうする、あなたはどうする?」というあなたなりの答えを訊いているのです。

肯定されたいわけでも否定されたいわけでもなく、ただ聞き手の答えを待っているのです。

その答えが答えたり得れば、別に真逆の事を主張されたって私は納得します。


というか、批判とは本来そうあるべきなのです。

「良い悪いを判断する」その先に何かが存在しなければ批判たり得ない。

分かりやすく言えば、

「返事をもらう」「何かを変える(ことで何かを守る)」「逆に自分の間違った部分を直す」などの明確な目的がない批判は批判じゃないんです。

この部分を分かっていない人がやる批判は全部批判じゃなくて「愚痴」や「悪口」、時に「暴力」です。


さて、あなたが何か批判をした時、批判した後に残るものは何ですか?

そういう風に自分を見つめることができますか?


こういう質問をすると嫌われます大体できてないことがバレます。

そういう人たちの主張する正当性は、批判した後に何も残らない、「言う為だけの批判(Say to say)」なのです。

「どっちが正規の歌詞なの?」と迷うと思いますが、”『正当性』”が正規の歌詞です。

正当性という言葉は今日「声高な正義を訴える」人々が好きで使う言葉ですが、

まさかその言葉が「Say to say(言う為だけの批判)」という言葉とリンクするとは。


さて、ここまでで大分えっぐい内容になっておりますが、

ここまではまだこの曲を軽くなぞっているだけです。


この曲のメインの部分を次の記事で説明します(長くなっちゃったので)。


きついと思いますが、少しだけ我慢してください。

きちんと真心と共にこの曲の根っこでお待ちしています。

水橋製作所日誌

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