「サイコパスに成りにゆこう」の真意(3)

さあ、多分与太話の最後の記事になります。

MVにちょくちょくこのハートマークが現れます。

お気づきでしょうか。これ、Twitterの「いいね」です。UNDERTALEじゃないよ。


この曲が投下されるまで「嫌いボタン(Dislike)」の話題がTL中で話題になっていて、「これだ!」と思いこのMVを作りました(笑)

投下した後から急に話題に上らなくなったけどね。なんなんだよおまえら←


大抵の人は、本人にそんなつもりはなくても、気付いたら「嫌いなもの」「避けているもの」を主軸に話してしまいます。

途中に現れるアイちゃんやケイスケくんも、「嫌い」を表示したスマホを振っています。


実は、好きなものや愛しているものを主軸に世界を見つめていくというのは、美徳であれどとても難しいことなのです。

だって、日々色んな悩みやストレスを抱えながら殆どの人は生きているんだから。どっかで吐き出せなければ病気になってしまう。

しかし吐き出すことでそれが癖になって、気が付いたら「超防衛」をやらかしてしまう、なんて失敗もするのです。


自分が好きな事で「超防衛」をやらかしてしまったら?

それは凄く悲しいことでしょう。

それを悲しいと思えなくなったら、それは本当に心が壊れてしまっているかもしれない。


サビの説明をした際、「一読したらただバカにしてるように見える」と言いましたね。

それでは、今一度サビの歌詞を、今度は最後のサビの歌詞と共に読んでみましょう。


※サイコパスに成りにゆこう
 僕の身を守る為
 「愛してる」って言えば良いよ
 悪者に成らないよ


サイコパスに成りにゆこう

僕の身を守る為

「大好きだ」って言えば良いよ

誰も責められないよ


「愛してると言えば自分の行為が全部正しくなると思い込んでいる」という様だと、その思考トレースだと以前は説明しました。

しかし、黙っていても様々な情報が飛び込んでくる現代、愛したものの悲しい話題や辛い話題まで制御できずに飛び込んできてしまいます。

故に、この歌詞は他人事ではなく、誰にでも起こりえる思考であります。

胸を痛めてしまう気持ちも分かります。私だって今年、色んなものの悲しい話題や辛い話題を見てきて、胸を痛めた人間の一人です。

時に暴力的に語ってしまったことも、私にだってあります。


でもね、

それって子供たちから見た時、

「かっこいい大人」じゃないよね。


だって悪口言ってるのと変わらないんだもの。


そうかといって、胸を痛めた時に黙り込んでしまったら、行き場の無い悲しみや辛さで今度は自分が壊れてしまうかもしれない。

そんな時に必要な言葉は何でしょう?


私は「愛してる」「大好き」だと思います。


※サイコパスに成りにゆこう
 僕の身を守る為
 「愛してる」って言えば良いよ
 悪者に成らないよ


この歌詞は声高な正義を訴える人々の思考トレースであると同時に、今胸を痛めて追い込まれている人々へ示す指針でもあります。


今、自分は悲しんでいる、苦しんでいる、胸を痛めている、そして追い込まれている。

そんな時に、自分以外の物事に関して善悪を判断する、批判する余裕なんか当然無いわけです。

そんな時、社会から、身の回りから、「問題に対して何か言及しろ」と言われたような気がしても、

常識も理屈も無視して「愛してる」だけを言う

シンプルに、純粋な愛を口にする。

そうすれば傷付けることはない。ここに一切の悪意や敵意はない。

仮に本当にジャッジを求められていて、それを無視して、「冷たい奴だ」と言われても、

今はこれが自分の身を守る為になり、
そして愛するものに対して敵(悪者)に成らない為にもなるのです。

これで守れるのは自分の利だけかもしれない。でも余裕がねえんだ。

サイコパス?上等だバカ野郎


というのが裏の意味であります。


「サイコパス」という言葉を見ると、「猟奇的」とか「病的」とか、「目に見えた狂人」というのをイメージする人が多いかもしれません。

実は違います。

凄くざっくり言うなら「究極の自己中」がサイコパスです。

猟奇的な嗜好や狂人的な振る舞いというのはあくまで別のもので、本来は「罪悪感の欠如」「共感性の欠如」などを持つ精神病質の一つを指します。


自分が愛していれば何をやってもいい というのは勿論サイコ野郎の考え方です。

でも、同時に「今は自分の身を守ろう」と黙る行為も、他人から見たらサイコ野郎の行動かもしれない。

同じサイコ野郎なら、愛を大事にしたいじゃないですか。


愛の形は人それぞれです。

ここに示した方法を見て「こんなの愛じゃないよ」「これはおかしいよ」という人も決して少なくはないでしょう。

勿論、愛しているからこそきつい事を時に言わなければならない時もあります。

しかし、それはあくまでケースバイケースであって、いつもそうでなければならないなんてことはないのです。

余裕がなくなってきたら一旦やめればいい。

ただそれだけで、傷付けずに済む人々が何人も居て、同時に自分自身も救われるのです。


自分でこういうのも変だけど、

こういう「あったかい裏のメッセージ」を読み取ってもらえるように、

サビは明るく、そしてMVのラスサビはハートフルに仕上げています。

MVの終盤、みんなでハートのつながったスマホをにこやかに振っています。

一人笑ってないけど。

ここには、「今は正しい事よりも、大好きなものを口にしようよ」「愛してるものを守ろうよ」というメッセージが込められています。


私の目が正確かどうかわからないけど、少なくとも私の目から見えるほとんどの大人たちは、「守られること」を前提に生きている気がするのです。

怪我をしないように生きていくには、ある程度それが当然なのかもしれない。

それにただでさえこのコロナ禍です。以前よりもストレスは高まって、それを放出する手段はひとえに「愚痴」や「批判」になってしまうかもしれない。

ある程度は仕方がなくても、そればかりになってあとで後悔するのは自分自身です。

逆にそれで後悔しなくなったら、それはもう人として終わってしまいます。文字通りのサイコパスです。(後天性のサイコ気質は「ソシオパス」という名前になるらしいです)


もう我々は、「守られること」だけを前提に生きてはいけないのかもしれません。

「守り、守られること」を前提に生きていくべきかもしれません。

少なくとも私はそう思います。


自分だって守る側なんです。

「俺には守る義務なんてねえよ」と思うかもしれません。

意地悪な説明方法ではありますが、日本国憲法にこの事はきちんと書かれています。


日本国憲法 第三章「国民の権利及び義務」 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


「人権」などの権利といえば日本国憲法の第十三条(基本的人権の尊重)を思い浮かべる人が多いと思います。小中学校でも主に暗記させられるのは第十三条だし。

しかし、私が思うに、今後重要になってくるのは第十二条です。

第十三条では「国が、自治体が、他者が自分の人権を守ってくれる」というイメージになりますが、

第十二条は「国民の不断の努力によって」、つまり「自分が他人の人権も守る」というイメージに変わると思います。


守られるだけの時代は終わったんです。

今度は自分も守る時代に変わるんです。



さあ、序盤の方で「いいね」や「嫌いボタン」について話しましたね。

嫌いボタン、実装されたら確かに嫌ですよね。嫌いボタン、嫌い!(笑)

私も反対派ではあります。


しかし、そうかといって声高に「嫌いボタンなんて要らない!」なんて言うつもりは全くありませんし、実装されたらされたで別に困らないかなとも思います。

どうしてだと思いますか?


要らないなら使わなきゃいいんです。


「自分の投稿に嫌いボタンされるかもしれないってのが嫌なんだよ!」と言いたいと思います。

気持ちはよく分かります。私も悪意や懈怠には敏感ですので、よ~くわかります。


でも、貴方は嫌いボタン、あったら使っちゃうでしょ?

不適切なツイートをした政治家や財界人、著名人を目の前にしたら、

死ぬ程嫌い(≠不正)なアカウントを目の前にしたら、

使わない自信、ないでしょ?


すげえ意地悪な誘導尋問だとは思いますが、そんなもんです。

嫌いボタンというものに腹を立てた人の大半は、恐らくいつか使う時が来てしまうことを幻視しているのではないかと。

手元にある武器は使ってしまう、と。


だからこそ、「自分は何があっても絶対に使わない」と強い意志を持って手放せばいいんです。


そうすれば、自分のツイートについた「嫌い」が、

本気で言ってるわけではなく、ただどっかのバカが人に八つ当たりしたくて適当にやったものだと合点がいきやすくなります。

「嫌い」が付いたってわざわざ気にも留めなくなります。

その内ネタにしだします。

だって自分はわざわざ嫌いなものに「嫌いボタン」を押そうなんて思わないし、そもそもしないんだから。


我々に必要なのも、使うのも「いいね」「好き」だけです。

それだけでいいんです。

武器を配られても、使うのは愛だけです。

「嫌いボタン」実装の理由がなんだろうと、サイコパス上等です。

強い意志で、自分が、使わなきゃいい。



この曲のダブルメッセージと、「嫌いボタン」に関する話題とがなんとなく一致したように感じて、私は「この曲をリリースするなら今しかない!」と思いました。

リリース自体は投票で決まったんだけどね(笑)

しかもリリースした後「嫌いボタン」の話題消えたしねwww

なんなんだよ、本当になんなんだよ。

まあでも、その程度なんです、困ることなんて(*´ω`*)


一見世の中を舐め腐ってDisり倒しているように見えて、

正しさより愛を叫んで、守られるだけでなく守っていこうぜ。

という何気にアツくるしいメッセージも込められています。



さて、こんなところです。

長々と解説しましたが、なんか説明漏らしとか、疑問点とかありましたら、

容赦なくお聞きください(/・ω・)/


じゃ、皆さんも愛を叫べる大人になりましょう。

ばいばい!

水橋製作所日誌

縦横無尽の音楽的凶悪犯「水橋大海」のホームページです。 作品公開に利用しているサイトへジャンプできるようになっています。 ブログはおまけです。

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